2011       ガイドの会はこんな活動をしています              

青空市の手伝いと高台寺ハイク  1126() 参加者15

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高代寺コース 1町石標 〜 12町石標、高代寺          所要時間 1時間40分

町石標、六地蔵、台場、山下道、もみじ紅葉、閼伽神水、高野槇(町指定保護林植樹高野槇)、もみじ(400年樹齢)、良寛碑、七宝山高台寺略歴、菩提樹(樹齢105年)

案内所の横の駐車場で行われた青空市。人影はまばらだったが、客足が一段落したころ、高台寺へのガイド開始。参加者は老人、若者、子供、出店者等多様であった。そのせいもあり、歩調がばらばらで、同じ説明を何回もすることになり、所要時間は1時間のコースだが、それを大幅に超え、1時間40分もかかった。(アッキー)

豊中との交流  1025() 参加者25

広域の交流会に参加。3時間ほどのコースで原田しろあと館や大石小石塚古墳、原田神社など、豊富な見どころと発見があり、古代からあった近在の町とのつながりなど、興味深く感じました。 

原田城主・原田氏は1279年に能勢一帯に君臨した多田院御家人の一員として初めて多田神社文書に登場します。徐々に勢力を大きくしていった原田氏は15世紀中ごろには原田一帯を支配する土豪に成長すると、室町幕府の管領(将軍の補佐役)で摂津守護である細川氏の家臣団に組み込まれ戦乱の世に巻き込まれていくのです。慶長年間には北城・南城とも廃城となり、原田氏の多くは豊後直入(大分県竹田市)などへ移り、現地には土塁や城跡、伝承だけが残されました。

須藤 記

能勢電鉄・高代寺ハイク 1018日(火)  参加者 180

122.jpg恒例の早朝ハイキング。9時出発でD〜@コ〜スを自由に散策。高代寺本堂においての説明2回。吉川城の説明はガイドの手不足で出来なかった。参加者の中からは高代寺以外のコースを望む声も聞かれ、ガイドの会としてフリーに参加できるコースも今後の検討課題かと思われる。 (古寺)                                 

高山まつり  109日(日)

48.jpg [コース] 住吉神社―マリアの墓―高札場跡―西方寺―右近生誕地の碑 約1時間 2

高山まつりの一環で高山地区のガイド(午前10時発と午後1時発の2回)をする。

午前の部 25名参加 住吉神社で神輿の出発と重なり、時間超過。

午後の部 25名参加 帰りのバスの時間の関係で急いだが、バスに乗車する人がいないことが分かり、その後はゆっくりと説明が出来た。                                       

神輿は4年に一度しか出ないが、神楽奉納は毎年行われる。 (栗山)                       

右近の郷の出店は真菜まつりに比べて規模が小さく、少し寂しい雰囲気だった。  

妙見山へ  −クッキングセンターー 104日  参加者 34

高齢者のグループを案内して妙見山に登り、クッキングセンターにてキリシタン大名・高山右近、利休について説明。道中でけがをされた方が出て、事故対策の必要性を痛感。 (古寺)

※この後の例会で、ガイドの際には必ず救急薬品を持つ役回りを一人置くことにした。

阪急観光あるき 3回 −余野― 石仏の里を訪ねて   925日   参加者35

1a.jpg [コース]余野十三仏〜遊仙寺〜梅相院〜牧・太歳神社〜牧道標 

ハイキングには最適の日和の中、定員オーバーの参加者ではあったが、ガイドの会から7名が参加、各スポットの説明は1015分程度で、スムーズにコスモス園までの2時間コース(5k)を巡る。常連さんもいたが、皆さん満足されたというアンケート結果だった。(小西)

妙見山を案内して ―吉川―  825

image002.jpg大阪の歴史研究会の人々を妙見山に案内。

ケーブルとリフトで山門まで行き、妙見山の概要、霊場等の説明、星嶺前で 開基(能勢 頼次) 開山(行基)、妙見信仰(村雲瑞龍寺の庇護、女人禁制の解除、江戸出張所開設)、妙見参道等について説明、矢筈の家紋等少々質問があった。後、リフト前のクッキングセンターで懇談会。天候もまずまず、ガイド日和だった。高齢でも山に登れる今回のコースは地元ではポピュラーなのだが、ガイドすることはほとんどない。

ケーブルからリフトへの乗り継ぎ地点と、リフトを降りてからの坂道、山門から中も緩やかだけど長い階段が続く。ほとんどの観光客はガイドなしで登られるので、今回のような機会は稀有。久々の妙見登山?となった。

徳川家康が清和源氏の系図をほしがった理由の史的討論もあり、興味深かった。この日のガイドが印象に残るものとなったようである。みなさん無事に下山、満足して帰られた。

他にも頂上までの登山ルートはいくつかあるが、そちらのガイド要請は今のところあまりない。植物に詳しい人と一緒に歩くと、いつもの道が印象深くなる。そんな声がかかる日もあればいい。                秋武 記

野の道を歩く −高山ー  724日

47 大阪府における歴史・文化の現地探索を目的とするグループ(21名)を案内する。

15:30 西方寺にて青木会長、副住職 挨拶、

豊能町概要、高山地勢を説明(上山)

高山右近の経歴、更に右近の人としての特質@茶7哲人、A国際人・葡萄牙語堪能、B築城家・明石船上城・高岡城等、C武将・数々の武功により明石6万石・前田家客将として関ヶ原の功績、D宗教人大名の地位を棄て、信仰の道を選び、マニラに追放され1615年病死した。2015年は法没後400年になることを紹介

16:00 高山右近生誕の地、八幡神社

16:10 高札場

16:30 マリアの墓、 坂道の途中で「きつい」と1人断念された。

他には「野菜市場はないのか?」などの要望もあった。今後希望に沿えるよう、地元と協力して応えて行きたい。                       秋武 記

阪急観光あるき 2回 −川尻ー 石仏の里を訪ねて   717

3.5時間、7km       参加者43名+その他7名

コース:豊能町役場1000――オリエンテイリング920――@北の谷磨崖仏――A多尊石仏地蔵――

    B双体地蔵石仏――C不動明王――D大峰供養塔――E法輪姫の塔――E法輪寺F宝篋印塔1130(朝市、昼食)1225――G中の谷多尊石仏――H光明真言版碑――I打越阿弥陀三尊石仏――J殿方庚申塔婆――K川尻向井山宝篋印塔L地蔵石仏M旧池田街道――O木代狸藪磨崖仏――

豊能町役場1430(終了予定時刻に迫っていたのでN、と要望のあった余野の十三仏は除外)

 

                                 秋武 記

 

観光協会ツアー 右近ゆかりの城を訪ねて  奈良県宇陀町へ    713

参加者総勢47名。

飛騨の守一族とその家臣150人余りが洗礼を受けたであろう小聖堂がどんな所に建って居たのだろうか?

@  沢城址

西名阪自動車道、針インタ−を出て宇陀市内約40分ほど走り大和の大規模農園の近く高山右近の石碑あり、農園から標識では約5km細い山道は整備されておらず、両側殆ど深い杉林が続き真夏の日射は遮られ少し涼しく感じられた。そこが過ぎると急な勾配で登りが続き、約350m程小石混じりの道を躓きながら進む。最後まで登った者は8名。城跡の両側は小さな谷で、周辺には何もなく、南西に向かえば奈良,木津、京都、高槻、北東に向かえば伊賀、岐阜、尾張。戦国時代には最高の立地条件の山城であったろうと想像する。

 大野寺(おおのでら)  真言宗室生寺派の寺院

室生寺へ向かう入り口に位置,山号は楊柳山、本尊は弥勒菩薩,開基は役小角(えんのおづぬ)と伝える、白鳳9年(681)草創される、文化財 弥勒磨崖佛(史跡)約30mの大岩壁に高さ13.8mにわたって光背形に堀り窪め、その中を平滑に仕上げた上で、像高11.5mの弥勒菩薩を線刻で表す。宇陀川をはさんだ対岸にある。

ƒ室生寺(むろうじ)真言宗室生寺派大本山の寺院

山号を(べんいちさん)天武天皇9年(680)役小角(えんのおづぬ)の草創、空海の中興と言う伝承もあるが記録で確認できる限りでは奈良時代最末期の草創と思われる。室生寺の東方約1キロの所には竜神を祀る室生竜穴神社があるが、室生寺の草創にも竜神が関係していると思われる。         須藤 記 

 

 

高山右近の生誕地でミサー高山ー  619

    

高山右近生誕地の豊能町高山地区、かつて右近の祖母がオラトリヨを開いていたと言われる西方寺で日生のキリスト教会の信徒たちによるミサが行われた。
西方寺の副住職の講話とガイドによる右近にまつわる話などを聞いた後、3人の神父によるミサが行われた。高山地区の案内もあり、総勢40名の参加者たちは熱心に耳を傾けた。
キリスト教と仏教の融合した一日。白い幕を張られた本堂は荘厳な空気に包まれていた。    

                           古寺 談

阪急観光あるき1回 ー切畑ー   424