報告                              平成23619

キリシタン大名高山右近列福祈願ミサ 

町おこしに一役   高山右近生誕地

前夜からの雨で朝から曇り空1010分出発、K氏とU氏の3名で高山西方寺に向かう10.45分到着。

既にU氏スクリ−ン用意され椅子40席並べ協会の方お迎え準備整って居た。初めてのミサ開催に際して寺院側の好意ある接待に嬉しく感じた。

1110分全員揃い、まず右近ゆかりのお寺西方寺日下部副住職の地域の発展の為非常に喜ばしい事だとの挨拶に始まりU氏の高山飛騨の守と右近についてスクリ−ンまじえ一連の説明を60分あまり拝聴する。その後K氏により右近とキリシタン関する講話、西方寺、勝尾寺、千 利休、茶道と右近等あり、熱弁にて午後1時まで休憩せずに続けた。信徒さんも感激されていたようだ。1時から昼食後次のコースを歩く高山右近誕生の地碑 高山城址跡 ƒマリヤのお墓 高札場 力石 参加者信徒43名ほか10名〔ガイド=4名〕

p.m3時〜5時 ミサ 

戦国時代のキリシタン大名・高山右近(15521615)の出身地である高山地区で右近を題材として、町おこしを考える地元住民の要望と熱意により、観光ボランティアガイドの会U氏、カトリック日生中央協会から神父3名、信者45名が結びついて、かつてキリシタンの小聖堂があつた高山地区の浄土真宗西方寺にて日下部福住職の協力によって前代未問の仏教のお寺でミサが行われた。〔朝日新聞記者H氏協力〕

日本のカトリック中央教議会は、弾圧をうけながら神に一生を捧げた右近に信仰の模範となる信者を示す「福者」の称号を贈るようにローマ法王庁に働きかける列福運動をしている。

右近は高山地区の有力者であった父飛騨の守の影響でキリシタンになり城主となった高槻で領民にキリスト教を広めた、江戸時代のキリシタン禁教令で国外追放され、フィリピンのマニラで1615年に病死する。間もなく2015年は右近没後400年になる。

これを機会に各所にあるキリスト協会に働きかけていく必要があると思われる。

マリアの墓

右近生誕の碑

 

西方寺玄関 

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