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豊能町の山

(注)一部、他の行政区含

山 名

特 徴 ・ 由 来

妙見山(660.1m)

平成2年(1990)「花と緑の博覧会」を記念して「大阪みどり百選」に選ばれ、第29番目の指定地となった。山頂には府下では珍しいブナが自生し、樹齢約700−800年とも言われている。

鴻応山(678.9m)

豊能町の最高峰、江戸時代、大阪堂島の米相場の状況を知らせるノロシ(狼煙)をあげた場所とも伝えられている。  嘉祥3年(850)、義顕上人が山麓を訪ねた時、はるか頂上に紫雲がたなびき、鴻の鳥二羽が舞い降り、舞い上がりしているので、その山頂に来てみれば二寸三分の仏様がおられた。上人は二尺三寸の薬師尊像を彫刻し、その体内に仏さまを納めた。山名を「鴻山」と、その後「鴻応山」と呼ばれるようになった。  日本全国の山の中でも、「鴻」の文字を冠する山名は極めて珍しく、能勢にある歌垣山からこの山を見ると、山容は秀麗で、赤松茂氏は、「豊能富士」と名付けた。  この山の麓の豊能町寺田地区にある青峰寺は創建が嘉祥3年(西暦850年)の古刹であるが、このお寺の山号は「鴻応山」であり、お山の名称と同じ文字が使われており一説には、この山号が山の名前となったとされている。

戸知山(665m)

天台山、光明山、妙見山と連なる一帯は、その昔は真言宗修行の場であった。その入口(戸口)に当たる位置にあることから山名がついたとも云われている。山頂には右近の夫婦松(愛称)がある。

明ケ田尾山(619.5m)

高山の西方寺前を通り、ヘライの辻を右に折れると登山口。五月山連山の北端に位置している。

石堂ケ丘(680.1m)

高山と茨木市の境に位置する。慶長19年(1614)徳川家康はキリシタン禁教令を発し、高山右近とその一族を国外追放した。幕府の弾圧が強く村人はキリスト教の祭具を石堂ケ丘に埋め、その上に「みつばうつぎ」の木を植えたという伝説が残っている。元旦の朝に「金の鶏が一声鳴く」との言伝えがある。

天台山(639.7m)

天台の名は最澄の開いた天台宗、中国仏教三大霊場の一つ「天台山」と同じ。

光明山(639m)

仏・菩薩が心身から放つ光りの意、僧の修行の場とした山でもある。

湯谷ケ岳(622.4m)

山頂からは摂津・丹波・山城・河内の国々が見える。

田の廣(576.2m)

12世紀初期、藤原長乗(通称貝川三位長乗)が一族郎党36名を引き連れてこの地に在住し、大円を拠点に開発したのが、木代・切畑の始まりとされる。

高代寺山(488.7m)

妙見山南西に位置する。吉川城跡稜線を西へ。高代寺本堂より少し行くと高代寺。

青貝山(3912m)

東ときわ台の東、その麓にはかつて希少なトンボの生息地として人々が訪れるトンボ池がある。

*参考資料
豊能町町史 ・豊能のくらし(冊子) ・余野川流域風土記 ・豊能町立郷土資料館案内資料・豊能(町勢要覧1993) ・能勢町史 ・過去観光養成講座テキスト集、ガイド案内資料 国土地理院地図

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