現在の豊能町域で人々が生活をはじめたのは、一万年以上も前にさかのぼります。川尻地区から旧石器時代の遺構が見つかっています。
伝説によると、十二世紀の初め貝川三位長乗という人が一族郎党36人を率いて旧東能勢村の切畑・木代に移り住み、ここを拠点に開拓したのが始まりといわれています。中世には木代荘がありました。また十四、十五世紀頃には、木代荘に接して余野荘、川尻荘もあったようです。近代には川尻、余野、木代、切畑、野間口の各村になり、主として幕府領や旗本知行地として続き、幕末には幕府領は高槻藩預かり地(永井日向守)となり、明治を迎えています。
また旧吉川村は、中世は源満仲を祖とする多田源氏の支配地であったり、能勢氏の知行であったり目まぐるしく入れ替わり、政治的激動期を経て明治期を迎えています。
明治22年(1889)町村制の施行で、余野、野間口、川尻、木代、切畑の五カ村が合併して東能勢村となり、吉川は吉川村となりました。
昭和28年(1953)町村合併促進法の制定によって、東能勢村は昭和30年に茨木市高山を編入し、翌昭和31年に吉川村と東能勢村が合体合併して新しい東能勢村となりました。ついで昭和33年に京都府亀岡市西別院町寺田・牧を編入しました。
その後、村は大規模な宅地開発で人口が増加し、昭和52年(1977)に町制を施行し、豊能町となりました。町制施行時8,480人だった人口は、平成22年(2010)6月末には約23,358人となっています。(町面積34.37km2)
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